日露戦争の激しい旅順攻防戦が日本軍の勝利で終結、1905年1月5日、日本軍の司令官の乃木大将とロシア軍要塞司令のステッセル将軍が水師営にて会見しました、そして、旅順のロシア軍の降伏で調印しました。調印した場所は劉という農民の家で行われました。家は2部屋あり、左の部屋には調印式行った部屋で、右の部屋は控え室でした。調印台らしい机がなくて、野戦病院の担架を机にして調印式を行いました。現在展示されているものが全部複製品です。庭に記念碑が裏表2枚に剥離されて展示されています。また、ステッセル将軍の白馬をつなげたナツメの木、その3代目として植えられています。白馬は会見後ステッセル将軍に送られていました。